oyabaka essay

別れ

 小学校2年の頃、野良の老犬を家に連れて帰って来ては、捨てて来なさいと母に叱られ、それを何度も繰り返していたら、ある日母がどこからか子犬を連れて来てくれた。
子犬は「コロ」と名付けられて家族の一員になった。

 コロは頭が悪かった。飼い主の顔を覚えないのか、僕は常に威嚇されていた。
ある日コロと散歩をしていた時に、ブロック塀の上で横たわる猫と遭遇した。
猫は吠えるコロをあざ笑う様に、シッポをぶらんと垂らして、ブロック塀のホコリをはらうように揺らしていた。
コロは狂ったように吠えていたが、突然「キャン、キャン、キャン」と負け犬の声を上げ始めた。
驚いてコロの顔をのぞき込んでみたら、コロの顎の毛は血で赤く染まっていた。どうやら舌を噛んだらしい。

 僕が5年生になったある日、コロは母に激しく叱られていた。母はホウキでコロを叩いている。コロは母が振り下ろすホウキに、シッポを振りながら噛みついていた。母はコロに「お前が喋れ、おまえが喋れ」と何度も繰り返し叫んでいた。「お母さんどうしたの」と尋ねたら、母は「コロがピーちゃんを食べたんよ」と涙目で答えた。見渡すとコロの周りにはセキセイインコの羽が散らばり、軒先に吊るされた鳥かごの扉は開いていた。ビーちゃんは母が熱心に言葉を教えこんだセキセイインコで、近所の人を家に招いては、ピーちゃんのトークショーを催すほど、母の自慢のセキセイインコだった。ピーちゃんが喋る言葉にはいくつかあって「ぴーちゃん、お早う」「こんにちは」「お母さん」「大好き」、そして強い口調の「シンヤ!」だった。そんなピーちゃんを、本当かどうかわからないけれど、コロが食べてしまった事に母は腹をたてて、ホウキを振り下ろしながら「お前が喋れ、お前が喋れ、お前が喋れ」と何度も繰り返し叫び続けた。そして振り下ろすホウキに戯れるコロに、怒りが頂点に達した母は「今から捨てに行く」と言い出した。

 母は僕とコロを乗せて、随分長い時間車を走らせた。僕とコロは知らない町の農道で降ろされた。「見えない所まで行って鎖をはずしておいで」と母は言った。こんなバカなコロでも別れるとなるとやっぱり寂しい。僕は泣きながらコロを遠くへ連れていき、鎖を解いた。コロは別れも惜しまずに逃げるように走り去った。
 帰りの車の後部座席で、コロが追いかけてこないかとずっと後ろを見ていた。ごめんねコロ。ごめんねコロと、心で繰り返しながら僕は泣き続けた。

 コロの別れから三日後、母が「やっぱり可哀想ね。コロを迎えに行こうか」と言い出した。母と僕はコロを捨てた町に、コロを迎えに行くことにした。車を走らせながら「犬は家に帰ろうとするから、道中よく見てなさいよ」と母が言った。僕は絶対に見逃すまいと、車の窓にかじりついていた。結局、道中コロの姿は見かけないまま三日前に別れた場所についてしまった。
 母は「ちょっと見てくるから待ってなさい」と言って車から降りた。僕はコロを連れて戻る母の姿をイメージしながら、後部座席から後ろを見続けていた。やがて母が凄い勢いで走って来る姿が目に映った。コロがその後ろを嬉しそうに追いかけてくる。僕は嬉しくて笑った。そして母が運転席に飛び乗り、エンジンをかけた。
・・・コロはまだ車に乗っていないのに。

僕は慌てて振り返りコロの方を見た。コロがこっちに向かって走ってくる。
その後ろからクワを振りかざして追いかける農家の人の姿が、僕の目に飛び込んで来た。
母はタイヤを鳴らして車を走らせる。
僕は追いかけて来るコロに向かって
「コロー、コロー」と、何度も何度も叫び続けた。

「お母さん車をとめて!コロが殺される!」

母は我に帰り車をゆっくり止めた。
僕は急いで車から降りて、走り寄ってくるコロに向かって両手を広げた。
コロは僕の腕の中に飛び込まずに通り過ぎた。
続いておじさんが通り過ぎたかと思ったら、スピードを緩めてゆっくり振り向いた。
おじさんは膝に手をつき、肩で息をしながら言った。
「あんたんとこの犬か?」
母が車から降りて来て、おじさんに「はい」と答えた。
「あんたんとこの犬が、うちの畑を荒らしてぐちゃぐちゃにしたんよ。」
「本当に申し訳ございません。弁償させていただきます。」
おじさんのお説教は随分長い間続いた。
母はひたすら頭を下げていた。その横をコロが何度も走り抜けた。
母はその度に、コロを蹴ろうとして足を出していた。
僕はコロと母のやり取りが面白くて、ずっと笑っていた。

結局コロは僕たちの家族として、馬鹿のまま長寿を全うした。
母は息をしなくなったコロを抱いて、
「コロ、コロ、何か言い、何か言い・・・」と、優しく語りかけ続けた。

終わり



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