oyabaka essay

 父

大きな家に突然引っ越した。
しかし、それ以外は何も変わらなかった。
慎ましい、自給自足生活。
今振り返ると、笑い話にしかならない、閉鎖された文明の中で、私は育てられた。

父は船を降りても働き者だった。毎朝4時には裏の山へ入る。
そして8時にはおびただしい数の昆虫を持ち帰ってくる。
それは、子ども達が飛んで喜ぶ、高価な虫ばかりだった。
その虫たちは、人が入るほどの大きな虫かごへいれられた。
手作りの昆虫博物館である。
博物館の噂は子ども達の間で、瞬く間に広がり、8月の炎天下の中、大行列ができるようになった。
子どもだけではない、中には大人も並んでいた。虫かごには「一匹100円」と殴り書かれた段ボールがぶら下がり、
その下にお金を入れるカンカンが下げられていた。接客をする人間はいない、今で言う、100円市場のようなものだ。
父は毎朝大量の昆虫を山から博物館へ移す。そして毎日家の前に行列が出来、午前中には全て売り切れた。
ある日、真夏というのに、スーツを着た大人が二人やってきた。
父と玄関口で暫く話した直後、博物館は閉園となった。

それでも父は山に入らない日は無かった。
来る日も腰にナタをぶら下げ、山に入り、手ぶらでおりてきた。
そしてある日、クジャクのような大きな鳥を1匹ぶら下げて下山してきた。
その鳥は、とてつもなく大きかった。
私はうかつにも、そのクジャクのような鳥に名前をつけてしまった。くーちゃんと。
くーちゃんは、その日の夜の食卓へと上がった。
くーちゃんは、クリスマスの七面鳥のような姿で食卓に上がった。

父は嬉しそうに、くーちゃんとの格闘シーンを手振り身振りで話しながら、焼酎を口にしている。
私は正座をしたまま、くーちゃんを見ることも、父の顔を見ることも出来ず、ただただ俯いていた。
父は兄にこんなことを言った。
「いいか、明日からお前が山に入れ。仕掛けの場所を教えるけん、よう頭に入れとけよ。でないと、お前がその仕掛けにかかってしまうぞ。そしたら一溜まりもないけんの。ワシのナタを持って行け」
それから数日後、父は船に乗り、2年帰ってこなかった。
小学3年の兄ちゃんは、一度も山に入らなかった。

第四章

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