oyabaka essay

青い絵の具

 真新しい絵の具箱が、宝石箱のように見えた。運動も勉強も苦手だった小学校低学年の頃、唯一先生に褒められたのが図画だった。色を混ぜると無限に現れる新しい色に、心を躍らせていたのを覚えている。
 幼い頃から無精な私は、チューブからはみ出した絵の具の上から、無理矢理キャップを閉めていたので、次に使うときはいつも絵の具はカチカチに固まっていた。こうなると使う手立ては一つしかない。アルミのおしりをビリッと破って、ヒタヒタに水を付けた筆を、その中に直接突っ込んで溶かして使う。そうこうしている内に、絵の具箱はゴミ箱のような状態になる。隣の席の女子の絵の具箱は、まるで宝石箱のように美しかった。それを見る度に、何度も「新品からやりなおしたい。次は絶対きれいに使うのに」と思っていた。
 お母さんに頼むのは無理だ。このゴミ箱のような絵の具箱を見せるわけにはゆかない。どうすればいいのだろう。いっそ、捨ててしまい、なくしたことにしようか。そして私は絵の具箱を捨てた。
 下校途中の山裾の道から、切り立つ山の暗闇のなかに、絵の具を一つづつ手に掴んでは投げ、最後に空になった箱を思いっきり投げた。後はなるようになるだろう。そう高をくくっていた。

「悪いことは出来ないよ。誰も見ていなくても、神様は見てるからね」母の口癖は誰もが子供に言って聞かせる言葉だけど、続きがあった。「そして、お母さんがその神様だからね。何でもお見通しよ」。
 確かに、ゴッドマザーは今回の私の悪巧みを全てお見通しで、しかしそれは神のお告げなどではなく、町内に張り巡らされた情報網の力によるものだった。私が絵の具を山に投げる現場を目撃した、上級生の母親からのタレコミがあったのだ。
「山に登って全部ひろってきなさい。一つ残さず拾ってきなさい。それまで家には帰ってこんでええから」
そう言って母は私を家から出し、玄関の鍵を閉めた。

 夜七時、もうすっかり日は暮れていたけど、月が明るい夜だった。8歳の子供は声を出して泣きながら、月明かりの夜道を山に向かって歩いた。とんでもない事をしてしまったという後悔と、あの絵の具を全部見つけることなんて、無理に決まっているという、自暴自棄な想いが怒りに変わり、蒸せるほど泣いた。
 山裾の小径に入った頃、月明かりは山にさえぎられ、真っ暗闇に包まれていた。後ろから人の気配を感じて振り返るが、誰もいない。私は突然恐怖にかられて電信棒の街灯の下にうずくまってしまった。
「朝まで待とう・・・暗くて山にも入れないし、家にも入れてもらえん。ここで朝まで待って、明るくなってから山に入ろう。きっともうすぐ夜は明けるし」家を出て、まだ30分も経っていないので、7時30分頃だった。初夏なので寒くはなかったが、明かりを求めて集まるヤブ蚊が、久しぶりのご馳走に執拗に襲いかかってきた。ヤブ蚊との格闘に夢中になった私は、いつしか悲しみも恐怖心も消えていた。夜の山間に、パチン、パチンと肌を叩く音がこだました。
「そこで、何しよるんか」懐中電灯の明かりが私の目を差した。兄ちゃんの声だった。「お母さんが後ろで見はっとれって言ったけん、見とったけど、何しよるんじゃ。ぶち蚊にやられたやんか」兄ちゃんはスネをかきながら言った。「絵の具、どうするんか」「全部みつけるまで帰ってくんなって」「そうしとったら、いつまでたっても帰れんぞ」「朝まで待つ」「アホか、今8時やぞ、一緒に探しちゃるけん、立て」そう言って兄ちゃんは私の腕を掴んで引っ張り上げた。
 兄ちゃんが山に入った。私は道でまった。「思いっきり投げたけん」と、私が叫ぶと「お前の肩、女子か。いっぱいここに落ちとるわ」と、兄はそう言って、見つけた絵の具を私に向かってひとつづつ投げた。私は最初に見つけた箱に絵の具を並べた。けつが破れて丸められた、カチカチの絵の具が箱に並ぶ度、今ままでゴミと感じていたのに、何故か懐かしく、愛おしく思えてしかたなかった。隣の女子の真新しい絵の具箱よりも美しくかんじた。
 最後の一つ、青い絵の具だけが見つからなかった。随分探した後「最初からなかったんやろう」と言いながら兄は山から下りてきた。家に帰ると、母は青の無い絵の具箱を見て「風呂に入り」と一言いっただけで、何も言わなかった。
私は「ごめんなさい」と母の背中に向かって言った。
そして二日後、真新しい青い絵の具が一つ、私の勉強机に置かれてあった。

 さらに十数年の年月を経て、私は美術大学で油絵を学んでいた。あいかわらず、ゴミ箱のような絵の具箱を抱えて、青い空と海の絵を描いていた。

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