oyabaka essay

貧乏ではなかった

ここ何日も大雨が続いて、私たちは雨が上がるのを待っていた友だちのように、軽い足取りで並んで歩いた。
きっとびっくりするやろうね~。と何度も同じ言葉をリピートしながら、長い道のりを楽しむようにゆっくり歩いた。
息子の笑顔がとても気持ちいい。

私は父とこんな感じで歩いた事がない。

私の父は遠洋漁船に乗っていて、一度船に乗ると2年帰ってこなかった。しかし、船を降りると3ヶ月家にいた。
2年分の休日をまとめて休む勘定になる。父が船に乗っている間は、母が父親のような存在で、父が舟から降りると、父親の存在が二人になる。父は厳格な父で、母は『べらんめ~、てやんで~』的な父だった。
父達は3ヶ月の間、喧嘩が絶えることがなかった。
私が6歳の時、父が知らない間に、母は家を建てて、私たちは隣町に引っ越した。
2年ぶりに帰宅した父の形相は鬼のように赤く、息があらかった。
「げっ、げっ、玄関開けて家に入ったら、知らん人がおって、きゃ~って叫ばれたわ」父は帰ると風呂場へ直行する。どうやらパンツをおろしかけている父を変質者と思ったらしい。父はお隣さんから引っ越し先の住所を聞き、すっ飛んで来たのだ。
「家を建てるって電報を打ったやろ」母は鬱陶しい感情を首筋を掻きながら表現した。
「それは、わしが戻ってきてからの話やろうが」
あわてていたのか、ズボンの前が開いていて、パンツの青い縞が見えている。
「そんなもん待っておれるかいね」母はそっけない。
「かっかっ、金はどうしたんか」
「あんたが舟の間、私らは飲まず食わずの生活やったんよ」母は勝ち誇ったように言った。
そうなのだ。私はてっきり我が家は貧乏だと思っていた。
それが突然2階建ての新築に移り住むだけでなく、12帖の部屋を与えられたのだ。

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